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スパイスに弊社が載りました

スパイス
07年8月11日付の地域限定の新聞折込情報誌 スパイスに弊社が載りました。
▼記事(クリックすると大きくなります)
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by venex2 | 2007-08-23 08:06 | 新聞切抜き帳

海から観る

余部鉄橋を海から見る。
早朝5時 香住に集合
メンバーは船頭さんを入れて5人。
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同門の中より
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鎧駅のケーブル跡
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本日のメンバー
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by venex2 | 2007-08-15 11:19 | 七転八倒

戦争を考える・・といったら大げさかな

戦争を考える・・といったら大げさかな
映画「ワンス・アンド・フォーエバー 字幕版」

というのをネットで見た。ネットの映画を見るのは勿論初めて。映画も10年近く見ていない。
家に植木屋さんと外構の工事をやっている人がいて家でゆっくり居ることができない。ってなことで事務所に逃げた。で、暇なことからネットを見てると無料の動画を恐る恐る見てしまった

ワンス・アンド・フォーエバーはどんな映画というと「ベトナム戦争への本格参戦のため、“死の谷”と呼ばれるイア・ドラン渓谷へ出兵するアメリカ陸軍。決戦の直前、ムーア中佐は「命があろうとなかろうと、全員そろって国へ帰る」と部下やその家族に誓うのだった。」とかいてある。
あいも変わらず「ぐぐ===」っときて泣いてしまった。
しかし「プラトーン」よりやや問題意識が・・・・と私の勝手な気持ち。だけど、よかったですよ。最近は音楽で心が揺らぐから・・・・とくに感慨深く感じられた。

この時期になると戦争を題材にした映画等が多くなる。この映画はアメリカで作成されたベトナム戦争の映像である。内容はまずは見てください。
ベトナム戦争であろうがどんな戦争であろうが戦争には変わりなく、多くの人命が失われたことを忘れてはならない。また、多くの人の自由も奪ったことも避けられない。
数年前沖縄に行った時、旧海軍指令部壕を見た。その中にあった大田少尉の電文を読んで悔しさのあまり泣いてしまったことを覚えている。負けたことではない、報われない悔しさから泣いてしまった。
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「海軍司令官 大田実少将の最後の電文」

沖縄県民の実状に関しては、県知事より報告せらるべきも、県にはすでに
通信力なく、第三十二軍指令部又通信の余力なしと認めらるるに付、本職、
県知事の依頼を受けたるにあらざれども、現状を看過するに忍びず、之に
代って緊急御通知申し上ぐ。

沖縄島に敵攻略を開始以来、陸海軍方面とも防衛戦闘に専念し、県民に関
しては殆んど顧みるに暇なかりき。然れども、本職の知れる範囲においては、
県民は、青壮年の全部を防衛召集に捧げ、残る老幼婦女子のみが、相次ぐ
砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ、わずかに身をもって、軍の作戦
に差し支えなき場所の小防空壕に避難、尚,爆撃下(不明)、風雨にさらされ
つつ乏しき生活に甘んじありたり。

しかも若き婦人は率先軍に身をささげ、看護婦、炊事婦はもとより、砲弾運
び、挺身斬込隊すら申出る者あり。所詮、敵来りなば老人子供は殺さるべく
婦女子は後方に運び去られて毒牙に供せらるべしとて、親子生き別れ、娘
を軍営門に捨つる親あり。

看護婦に至りては、軍移動に際し、衛生兵すでに出発し、身よりなき重傷者
を助けて(不明)、真面目にして一時の感情にはせられたるものとは思はれ
ず。更に軍において作戦の大転換あるや、自給自足、夜の中にはるかに遠
隔地方の住民地区を指定せられ、輸送力皆無の者、黙々として雨中を移動
するあり。

之を要するに、陸海軍沖縄に進駐以来、終始一貫、物質節約を強要せられ
て、ご奉公の(不明)を胸に抱きつつ遂に(不明)ことなくして、本戦闘の末期
と沖縄島は実状形(不明) 一木一草焦土と化せん。糧食六月一杯を支ふる
のみなりと謂ふ。沖縄県民かく戦えり。

県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを。
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読み終える前から号泣してしまったことを覚えている。国のためにとつくした人々。
これ以上無理だと電文を出した大田少尉。そして沖縄県民を後世に至るまでよろしくお願いしますといっている。
戦後60年を越した。ひとつの世代を超えようとしている。今いる人に当時の話を伝えることも大事だろう。
私の知人というか大先輩の人が広島原爆の被災者だった。3年前に故人になったが「娘に子供が生まれない理由は被爆した私のせいだ」と悔やんでおられた。被爆の話も詳しく聞かないまま、あっという間に他界された。
明日 豊岡で原爆のことを語られる催しがあると聞いた。いってみたいと思う。
それこそ近代から現代へ変わる大きな時期の話である。そして少しでも知り得たいことだから・・・・
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by venex2 | 2007-08-04 18:45 | 七転八倒