「ほっ」と。キャンペーン

<   2006年 09月 ( 3 )   > この月の画像一覧

琵琶湖疎水

9月18日 急に思い立って京都へ
あこがれの琵琶湖疎水を見てきました。
▼疎水
b0010162_2355060.jpg

▼インクライン
b0010162_2361776.jpg
b0010162_2363442.jpg

b0010162_2371396.jpg
b0010162_2373937.jpg

▼京都御所用の旧ポンプ場(第1、第2疎水合流付近)
b0010162_2381118.jpg
b0010162_238278.jpg
b0010162_2384522.jpg

▼蹴上発電所に送る送水管
b0010162_239245.jpg

▼ 水路閣へ行く疎水
b0010162_23103031.jpg
b0010162_23105244.jpg

▼ 通路の煉瓦敷き
b0010162_23114793.jpg

▼ 水路閣
b0010162_23123455.jpg

b0010162_23153726.jpg
b0010162_23155873.jpg
b0010162_23161574.jpg
b0010162_2316393.jpg
b0010162_23171194.jpg
b0010162_23173938.jpg
b0010162_2318362.jpg
b0010162_23182625.jpg
b0010162_2318508.jpg

▼ 南禅寺山門より
b0010162_2321141.jpg

b0010162_23194870.jpg
b0010162_23201127.jpg
b0010162_23203783.jpg

▼ ねじりまんぽのトンネル(トンネル内の天井が渦を巻くように貼ってあるのがわかるかな?)
b0010162_23213884.jpg
b0010162_23221729.jpg
b0010162_23223675.jpg

▼ 蹴上発電所
b0010162_23235659.jpg


良かったです。あこがれの場所に行けてよかった。
今度は琵琶湖のほうを見てみたいです。
[PR]
by venex2 | 2006-09-21 23:32 | 七転八倒

いざ勝山へ

9月8日(金)
岡山県の勝山に行ってきました。もちろん仕事なのですが仕事の話はちょいと横に置いといて・・帰りに旧遷喬(せんきょう)尋常小学校によっていきました。
▼ 旧遷喬(せんきょう)尋常小学校
b0010162_10233377.jpg

1904年(明治37)川南村(今の惣、富尾)と合併、このころから児童数が増え校舎改築の必要が生じた。1905年(明治38年)新築に着手する。1907年(明治40年) 7月20日落成。工事費は約1万8千円で、明治39年の久世町の予算は約6千7百円であるから、新校舎のために年間町費の約2.7倍もの巨額の費用をかけたこととなる。(費用のうち約1万2千円は県から貸付けを受けている)福井要助 町長を始め町民の教育への情熱と子供たちに対する期待の大きさがうかがわれる。設計は県の江川技師である。建築材は落合町大字木山地内の国有林のすぐれた檜、杉材を選定し使用している。

▼ 説明文(クリックすると大きくなります)
b0010162_10454384.jpg

平成二年まで実際に使われていたらしい。国の重文二なりそのまま残っているのがいいですね。

なにやら映画のロケ地にもなってるらしく「ALWAYS三丁目の夕日」や「火垂の墓」などがそうらしい。
「ALWAYS三丁目の夕日」オフシャルサイト http://www.always3.jp/index.html
「火垂の墓」オフシャルサイト http://www.ntv.co.jp/hotaru/▼ 外観
b0010162_10235016.jpg

b0010162_10243537.jpg
b0010162_10245073.jpg
b0010162_1025547.jpg
b0010162_1025208.jpg
b0010162_10253855.jpg
b0010162_10255391.jpg
b0010162_1026935.jpg
b0010162_10262566.jpg

b0010162_10475134.jpg

b0010162_10462065.jpg
b0010162_10464094.jpg

▼ 内部
b0010162_10265248.jpg
b0010162_10271622.jpg
b0010162_10273569.jpg
b0010162_10275453.jpg
b0010162_10281091.jpg

▼ 内部の階段
b0010162_10284639.jpg
b0010162_1029341.jpg

なんと360度まわっていた周り階段
b0010162_10291883.jpg

▼ 二階
b0010162_10303543.jpg
b0010162_10305530.jpg

▼ 中央の講堂 「八鹿小学校もこんな感じだった」っと誰か言っていた
b0010162_10331389.jpg
b0010162_10333024.jpg
b0010162_10334116.jpg
b0010162_10335729.jpg

▼ 最後の卒業生の答辞(クリックすると大きくなります)
b0010162_10361836.jpg
b0010162_1036318.jpg
b0010162_1036455.jpg
b0010162_10365864.jpg
b0010162_10371363.jpg

▼ 再び内部
b0010162_10374493.jpg
b0010162_10375980.jpg

▼ 360度の周り階段を下る
b0010162_10384654.jpg
b0010162_1039189.jpg
b0010162_10391664.jpg

▼ 展示してあったもの
b0010162_10394496.jpg
b0010162_1040051.jpg

b0010162_10444180.jpg

b0010162_10403011.jpg
b0010162_1042281.jpg
b0010162_10422044.jpg

見ごたえのあった小学校でした。
[PR]
by venex2 | 2006-09-10 10:48 | 近代化遺産

イザ堰堤へ9月3日

9月3日
午前中、但馬検定の講義のための資料を作っていたのだが、土木遺産の堰堤の写真がないのに気がつく。昼から村岡へ出かけてゆく。途中 旧七美郡役所により写真撮影
▼ 旧七美郡役所(明治27年、その後移設 改築)
b0010162_1839275.jpg

その後は入江ダム  
▼ 入江ダム(昭和33年)
b0010162_1840158.jpg

まずは熊波堰堤だが熊波地区がわからない。知り合いに教えていただき地区までゆき、さらに地区の人に聞くと「あそこまでは車でゆけれへんで」と言われた。まあ、、歩いてもいいやろうと思い強引に行く。車が行けるところまで行き歩く
渓谷の案内 なにやらどこまで奥に行くのか不安になる。
b0010162_18411276.jpg

ものの10分で行き止まり。その先に堰堤があった。石張りである。黒く神秘的な堰堤。
おもわず「きれいだ!」といってしまう。
▼ 熊波堰堤(昭和10年)
b0010162_1837519.jpg
b0010162_18381135.jpg

気をよくして次は山田川堰堤。谷が一つ違う香住側へ向う。
途中 矢田川発電所の写真を一枚。
入江ダムからのトンネルでこの発電所に水を引いている。
▼ 矢田川発電所(昭和33年)
b0010162_1845559.jpg
b0010162_18462356.jpg
b0010162_1847494.jpg
b0010162_18472645.jpg

いよいよ初めて行く山田地区
村外れまで行き堰堤を目指すがわからない。道は細くなる一方。これ以上は行く自信もなくあきらめ帰る。途中 地区の人に聞くと「こっちにあるで」と簡単に言ってくれる。また細い道を行くのかと少しうんざりしながら別の谷に入ると・・・・あった。少し拍子抜け
▼ 山田川堰堤(昭和9年)
b0010162_18513123.jpg
b0010162_18521228.jpg

きれいに石積みされた堰堤である
堰堤の天板というか上部の石はきれいに張り込んであった。
b0010162_18534479.jpg

b0010162_1853248.jpg

さあこれで今日は帰ろうと思い車に乗りしばらくすると、すぐそばにも大きな堰堤があることに気がつく。
▼ 山田川の堰堤
b0010162_18553492.jpg

もう少し下るとたくさんあった。
昔は急な川だったのだろう。川岸も石できれいに積まれていた。
b0010162_18565624.jpg

やはり土木遺産はきれいである。気をよくして温泉町に向う。
3年前から気になっていた青下地区にある新田開発のために作られた水路を見に行く。
今は関西電力が使っているという。ここも初めてくる地区である。こりゃえらい奥だな。というのが感想。地区に入り人に聞くと「水路は蓋がしてあって見えんで」とあっさり。じゃあ取水口はどこにあるのかと聞くと「これから上流へ6キロほど行ったところ」と教えてくれた。すぐわかるのかどうか?時間も5時を過ぎていたし暗くなるのが先か、、、、
▼ 取水口(元々は明治4年だがその後手を入れている)
b0010162_192222.jpg
b0010162_1922328.jpg

いよいよ見ることが出来るとおもってゆくと・・・・・・
なんと蓋がしてあった。
b0010162_1931694.jpg

なんと、、、地区の人が言った意味がここでわかった。
確かに水は流れていた
b0010162_194810.jpg

3年越しの水路はなんともあっけなく終わった。
2勝1敗・・・帰ったら7時を過ぎていた。
9月4日
15時ごろから出石に行く用事があり行く。ついでに出石川にある流路群をみてやろうと奥山川に行く。
すぐさまわかった。これか・・・・たぶん。両岸はずっと石積みである。こりゃまたすごい。
▼ 奥山川流路群(昭和7年)
b0010162_1992123.jpg
b0010162_1993531.jpg

▼ 堰堤
b0010162_1910121.jpg
b0010162_19101567.jpg

次は谷山川の流路群
▼ 谷山川(昭和7年)
b0010162_1911644.jpg

ここも何段も堰堤がある
b0010162_19113756.jpg

赤木正雄先生が宝塚の逆瀬川の堰堤を作ったのと同じように作ったという場所はどこなのだろうか?
出石川にあると聞いたのだが・・・・・。
次の課題に残しておいて今日は終わり。二日間の土木遺産は終了です。
[PR]
by venex2 | 2006-09-05 19:17 | 近代化遺産