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11月26日~27日 鳥取県西部を中心に

■ 鳥取県建築士会と兵庫県建築士会の合同交流会がありました。

当日 朝6:30発 9号線で行ってもよいが米子道溝口ICの待ち合わせ時間があるため、安全策をとって播但道から中国道経由米子道に乗り継ぎ急ぎながら行く。
途中、蒜山PAで休憩を取ると、K設計事務所の車が・・ともにここまできたら安心とコーヒーを飲み約束の時間に間に合うよう溝口ICにいく。
約束に時間10時に鳥取のメンバーと合流。最初に渡されたのがA4のファイル。なんとぎっしり資料があった。
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行動表もあるが事前の勉強不足のためどこに行くかわからない。
▼ 行動表・・・みっちり書いてある。(クリックすると大きくなります。
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バスに揺られ阿弥陀堂に行く。一の沢、二の沢、三の沢は眠っていたためわからなかった。残念。
バスを降りて大山夏山登山道を登る。昔ここを通ったな~~~と思って懐かしかった。が、行けども行けどもつかない。むむ、、、、軽い汗が出てくる。、、、、いったいどこまで上がるのか?というと着いた。でも、結構登りはしんどかった。(20分はかかったような?)大山寺阿弥陀堂。普段は開いていないのに、私たちのためにわざわざ開けてくださった。
▼ 阿弥陀堂で説明を聞く
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信仰の山・大山の中心である大山寺の創建は、数々の伝説に彩られ明らかではありませんが、高野山などと同じく平安時代に修験道(しゅげんどう)の行場として開かれたのでしょう。やがて大智明権現(だいちみょうごんげん)(地蔵菩薩)を本尊とする山陰随一の天台宗の寺院となり、寛治八(一〇九四)年に大山の僧兵三百人が京都にまで強訴(ごうそ)したという記録も残っています。また、南北朝時代には、名和(なわ)長年(ながとし)の弟信濃坊源盛(しなのぼうげんせい)が大山の僧兵を引き連れて船上山(せんじょうさん)に籠もる後醍醐(ごだいご)天皇に味方しています。
 江戸時代になって各地の大名の領地が定められると、豪円僧正は幕府に願い出て三千石の寺領を認められます。最盛期には中門院(ちゅうもんいん)、西明院(さいみょういん)、南光院(なんこういん)の三つの寺院集団があり、一山三院四十二坊からなる一大勢力を誇った大山寺領は、鳥取藩の治外法権にあったのです。
 大山寺阿弥陀堂(あみだどう)(重要文化財)は、十六世紀中ごろに再建されていますが、鎌倉時代の建築様式を留め、宝形造柿葺(ほうぎょうづくりこけらぶ)きの屋根が美しいお堂です。堂内には巨大な阿弥陀三尊像(重要文化財)が安置されています。阿弥陀堂に至る古道の両側には、西明院に属した寺院跡の属した石垣や石段があり、現在も洞明院(どうみょういん)などが宿坊寺院として面影を留めています。阿弥陀堂辺りからは大山環状道路と交錯しながら横手道が伸び、ブナ林の中を散策する「小鳥の径(みち)」として親しまれています。 (鳥取県の歴史散歩より)
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▼下りながら先ほどの阿弥陀堂を見上げる。
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次に大神神社奥宮に行こうとするが場所がわかりづらいので簡単に説明文を
▼ 地図を参照してください(クリックすると大きくなります。)
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大山登山は中学三年に一人できて登った。そのころは怖いもの知らずで縦走をしたことを思い出す。但馬から一日がかりで自転車で一人できた。なつかしい。その後は単車で何度も来たが山に登ったのは、二十二歳ぐらいに来たかな?そのときは縦走はできなかったように思う。大山の頂上からユートピア避難小屋までは通称「馬の背」といわれている。ほんとに大山の山は馬の背という表現どうり銃走路は切り立っていた。切り立っているといえば避難小屋のトイレの中のウンチを思い出す。山のように蓄積されたウンチで切り立っていたことを・・・・。その後何度か冬夏問わず登山を誘われたがチャンスがなかった。冬の北壁は挑戦したかったが行くチャンスがなかった。いまは考えられないような昔のことである。
さて、大神神社。
▼ 大神神社奥宮
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▼ 石畳を登る。結構しんどい。またまた、登山に近い。
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▼ 山門
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▼ 山門から本殿に行く階段の見上げ
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▼ 本殿 とその他の説明文(クリックすると大きくなります。
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▼ 本殿内部の天井絵
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▼ 境内の中にある下山神社 八つ棟造りといわれているがなにも八つの棟があるわけでなくたくさん棟がある意味。
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▼ 昼食は白鳳の里というところで食べる。どんぐりをベースに豆腐や焼酎を売っている。
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▼ 門脇家住宅 説明文
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▼ 門脇家まで行く時の村の様子 大きな塀は門脇家の分家もしくは南家の塀
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▼ 明治6年(1769)に大庄屋の屋敷として建てられた旧家を一般公開。屋敷内では、書画や生活用品など、江戸後期の生活様式が分かる貴重な資料を展示。母屋は間口11間、奥行き7間と広く、高く組み上げられた寄棟造、茅葺きの壮大な屋根が当時の大きな勢力を物語っています。母屋は昭和49年に重要文化財に指定。平成5年には、2棟の蔵と水車小屋も追加指定されました。(HPより
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▼ 井形に汲んである大きな梁、牛梁といい巨大な梁と桁を3段に組んでいます。そして、大黒柱と恵比寿柱がほぼ同じ太さで梁を支えている。(HPより)
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▼ 玄関の格子 二本切子二本通しの変形
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▼ 桃の釘隠し
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▼ 「かぎの間」と呼ばれる奥座敷。
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▼ 屏風
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▼ 屏風押さえ
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▼ 中庭
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▼ 来客用の湯殿(風呂)
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▼ 便所
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▼ 茶室
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▼ 八角形の○○・・
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▼ 台所にある大釜
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▼ 門脇家隣にある分家 ここも登録文化財になっている。
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▼ 宿泊先の美保館のようす
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▼ やっと食事になりました。
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▼ 石畳の路地
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by venex2 | 2005-11-28 10:19 | 鳥取県建築士会交流会

鳥取・兵庫建築士会交流会 11月27日 二日目 午前中

■ 11月27日 二日目 
昨晩は疲れ果ててゆっくり休んだせいか朝早くから目が覚める。
明治時代の灯台に始めてお目にかかれるという期待でわくわくする。早く起きすぎてしまい、このままだとまた寝てしまうと思い、朝から二度もお風呂に入った。
▼ 美保関灯台から見た朝日
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▼ 美保関灯台
1898年(明治31)11月8日に、フランス人技師により設計、片江の石工寺本常太郎によって施工されて、初点灯した、山陰最古の灯台です。当初は、地蔵崎灯台と呼ばれ、第1等灯台で、光度は6万7500カンデラでしたが、1935年(昭和10)に、名称が美保関灯台に改められました。1962年(昭和37)に無人化され、1993年(平成5)に最新設備に改良されています。
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▼ 退息所
退息所(灯台守の宿舎)が改造されて、灯台ビュッフェとして営業していましたが、現在は休業中だと書いてありました。
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▼ 美保神社
御祭神事代主神は国土奉献の大事を決せられて自らは八重青柴垣を作ってお隠れになったと記紀にみえている。俗に「えびす様」と申し上げ古来より広く尊崇せらる。古くは延喜式内社に列し明治一八年国幣中社に昇格せられ明治天皇より剣一口を腸っている。夙に出雲大社と共に出雲の「えびすだいこく」と竝び称せられ「大社だけでは片詣り」とて出雲大社に参拝する人々は必ず当社にも参詣する風習があり、漁業農業商業の守護神として全国に崇敬者を持っている。山陰、岡山地方の農家は「夏市まいり」と称し田植後集まって参拝する。島根半島東端にある岩礁「沖の御前」「地の御前」は御察神が釣りをなされた聖地であり五月五日払暁この島にて神迎神事が執り行われる。現本殿は文化一○年造営のもの、昭和三年現在の神城を完成した。又当仕の「一年神主」制度は、特異な祭祀形態として顕著なものである。(神社本庁別表神社より)
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▼ 奥にある二つ並んだ本殿
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▼ 青石畳通り
美保神社の入口鳥居から青石畳通りといわれ、細い昔ながらの路地を通る。並ぶ家々には昔の屋号の看板がかけられておりコメントも書いてある。北前船の寄港地だったらしく店の数から言えばたいそう繁盛していたのだろう。石畳も大八車が通りやすいように敷設されたらしい。
150mぐらいの路地だが昔ながらの風情をかもし出し一人うかれてしまった。
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▼ 路地の中に昨日の宴会の場所「美保館」登録文化財です。
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▼ 登録文化財の証のプレート
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▼ 中に入ると中央のトップライトでとても明るい。また昔ながらの姿で残っている。
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▼ 朝日が海面からの照り返されとてもきれい写った大広間の和室。
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▼ 次の見学地に行く
松江城の堀に面した観月庵という茶室に行く。入り口の手前にあった堀には観光の船が行き来していた。
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▼ 観月庵の説明文(クリックすると大きくなります)
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狭い敷地に20数人が行きました。地面のコケを踏まないようにと注意があり、みんな石の上を行ったりきたり。まるでゲームのようです。もっともその写真はありませんが。
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▼ 次の目的地は明々庵というお茶室。その前に茶道会館をみる。
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▼ 天井の竿縁 なんとも・・・いただきだなこのデザイン
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▼ 明々庵の説明文(クリックすると大きくなります)
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▼ 武家屋敷が並ぶ町を歩く。
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▼ 田部美術館入り口・・素通りでした。
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▼ 小泉八雲 旧居  ここも素通り。
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▼ 説明文(クリックすると大きくなります)
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このあとやっと食事にありつけましたが、食事の場所まで結構歩きました。昼食の写真は今回はなし。疲れました。
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by venex2 | 2005-11-26 11:41 | 鳥取県建築士会交流会

鳥取・兵庫建築士会交流会 11月27日 二日目 午後

▼神魂(かもす)神社
本殿は民族祖先の独創になる日本最古の建築様式で天地根元造の形態を有する大社造として国宝(本殿。内殿。古代心の御柱の一部共)に指定され全国に現存する大社造としても最古(正平元年)のもので素朴雄大、本殿内は狩野山楽土佐光起の筆とも伝えられる大壁画九面にて囲まれ、天井の九重雲は(出雲大社は七重雲)日本建国の創業を物語る貴重な神話を伝う。(案内書より) 詳しくはHPを見てください。
http://www.mitene.or.jp/~hayamine/file3/kamosu.htm
参道のごつごつした石段が歴史を物語る。
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▼ 説明文 クリックすると大きくなります
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▼ 本来は神社本殿の扉は開けてないということだった。我々のためにわざわざ開けてくださった。(感謝)
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▼ 安来 清水寺
今回の交流会の最後の場所。清水寺。
鳥取のSさんより「また、歩きます。」といわれ、、、、むむむ。
おまけに雨も降ってきたが、着いた先の建物はスケールがでかかった。
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▼ 今は扉を閉めている宝物館を私たちのためにわざわざ開けていただいた。重ね重ね感謝。写真撮影はだめというので内部の写真はありません。HPより~清水寺は山陰でも有数の仏教美術の宝庫であり、この宝物館は杉井坊跡地に昭和47年に建てられました。中には当山のご本尊であった十一面観世音菩薩立像(重文)、山陰の大仏とも呼ばれる阿弥陀如来坐像(重文)、出雲地方では珍しい阿弥陀三尊座像(重文)の他、多くの寺宝が収められています。~
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外に出れば雨。また階段を上り本堂にゆく。ここも(本堂)てっきり写真撮影はだめだろうと早合点し写真は撮っていません。
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▼ とにかく紅葉がきれいだった。
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▼ 三重塔
いただいた説明文には県指定文化財。この建物は信仰の厚い一万人の信者によって建立された。1827年(文政10年)に始まり住職二代、棟梁大工三代の悲願の末に、33年の歳月を費やして完成した。とかいてある。またHPも参照
ひえ~~。33年も。妙見三重塔は何年ぐらいで建ったのだろうか?
また、「この三重塔の木材は香住の餘部からとりよせたらしい」と住職さんは言っていた。・・・うう~~ん。すこし・・・だ。
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▼ この三重塔は内部に入ることができる。内部を見て登れる建物は少ない。
中に入ると背の丈ぐらいの階高。階段というより、はしごである。おまけに狭い。おっちらおっちら上って上にゆく。
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▼ 三重塔の上から見下ろす。絶景
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▼ 雲に見え隠れする夕刻の太陽。
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▼ 塔内部の様子 とにかく丈が低く頭が当たりそうだった。
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▼ 中にある連乗院に少し時間があったので入る。中には古門堂という茶室がある。
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▼ きれいな庭園 「全国でもこれほどの沙羅双樹(夏椿)は珍しいそうで、蓮乗院では、毎年7月初旬の日曜日に『沙羅双樹の茶会』として、朝から大茶会が開かれます。」HPより
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▼ 先発の一行が帰ってきてお茶をいただく前。
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▼ 古門堂・・・といったって林しかわからないね。林の奥に古門堂がある。
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▼ 古門堂 内部の様子 ふすまの左にある柱をくりぬき三部屋を照らす「あんどん」が設けられている。HPより・・茶室古門堂は清水寺大門の廃材を以って建てられた茅葺、入母屋造りの草庵です。中央の灯籠は丸柱のあんどん式で、茶室、水屋、台所の三室を照らす独創的な造りとなっており、他に例をみない大胆な名茶室といわれております。その茶開きの正客として松平不昧公を迎え、大茶会が催されたと伝えられております
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▼ もう一方の部屋から見る。右端に「あんどん」がある。
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▼ きれいな庭園を歩く。
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▼ 第二班の面々。(一部の人だけですが・・)
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▼ かわらの敷石
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あっという間に閉館間際になりあわてて帰る。
その後マイクロバスで溝口ICにゆき来年再会を約束して兵庫に帰った。
途中、小さな某T氏の車に抜かれ腹だしかったが10時に但馬に着。お疲れ様でした。
そして、いろいろ企画してくださった鳥取士会の皆様&兵庫士会の皆様に感謝。
来年は但馬で会いましょう。
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by venex2 | 2005-11-25 15:00 | 鳥取県建築士会交流会