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■101007~1011 高松~土佐~内子~石鎚

■101007~1011 高松~土佐~内子~石鎚
■101007 高松 
高松の仕事を終え街中を少しぶらぶらしていたら海の近くで見つけた建物
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■101008 高松~土佐へ
いつものIC 大豊でおりる。雨だ。
前回にも寄った大橋堰堤を正面から見たい。
途中 見つけた水路橋
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ずっと走っていると7月16日に寄った高藪取水堰に出会う。
今回は水が流れていない
■高藪取水堰 1929年(昭和5年)
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魚道もよくわかる。
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練石で造られているのもよくわかった。
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しかしこの谷は深い。
橋の反対側を撮影、廃道
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水はきれいだが、この大きな石入ったどこから流れてきたのか。
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■大橋堰堤 1939年(昭和15年)
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■大橋発電所 1939年(昭和15年)
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しばらく走ると旧道に古そうな橋が・・・あわててバック。
■勝賀瀬橋 1927年(昭和3年)
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綺麗な橋だ。
その後、閘門を目指すがわからない。
何度もうろうろ。最終的に役場で聞く。その場所に行ってみると新しい閘門になっていた。
■資母閘門  
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この閘門を探すときに渡った仁淀川橋も古いのだが交通量も多かったので止める事もできずパスした。
今日はたったこれだけしか廻れなかった。下調べが必要だと後悔する。

■101009 土佐~愛南町
朝早く出る。目指すは浅野セメント工場・石灰石貯蔵タンク。
途中住友セメント工場の大きな施設に出くわすが今回はパス。
わからないのでガソリンスタンドの人に聞くと「たぶんこの道をまっすぐ行けばよい」とのこと。
海からそびえたつタンクが見えるはず。こんな感じ。
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しかし見えない。近所の人に聞くと「二年ほど前に解体された」とのこと。
しかたないので来たという証拠の写真
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今回はこんなのばかりだ。
次の目的地は白石工場。
なんどもうろうろするが見当たらない。近所の人に聞く。
細い道を入っていくとあった。
■白石工業 土佐工場(昭和11年)創業
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帰って写真を見るとがっかり。みんなピンボケ。
こちらのHPを見てください
http://www.kochinews.co.jp/rensai04/04kochitenbyo05.htm
須崎市で「鍋焼きラーメン」なるものを食べ、次の目的地である須崎市浄水場へゆくが閉まっていて中が見れない。次の目的地の「第二領地橋梁」も降りる道がわからず。
■古畑集落群
山の中をずんずん進むと古畑地区があった
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詳しい説明は下記へ
http://www.niyodoriver.jp/mokuroku/tanada_sakawa2.html
とにかく石積みの村であった。狭い土地に狭い通路。車が落ちるかと思った。
■司牡丹の蔵群
ここも場所がわからず。車屋さんに聞いて始めてわかった。
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司牡丹とは酒屋さんだった。
写真はすべてピンボケ(><)
今日は散々たるものだった。

■101010 愛南町~内子
昨日と違って今日は快晴である。
遊子水荷浦(ゆすみずがうら)の段畑(だんはた)を目指す。
■遊子水荷浦(ゆすみずがうら)の段畑(だんはた)
まあ・・・・まことにすごい!よくもまあここまで積み上げたものだと感心する。
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石積みなので写真ではわかりにくいが、斜面に沿って畑が作られている。
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1mぐらいの通路。昔はもちろん石積みの通路。小さな階段で畑に上る。階段がないところははしごであった。
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石は固めることも無く置いてあるだけだった
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たいへんだわ。これは・・・
幅1m、高さ1.5m前後の畑が、斜面に沿うように開墾され、麓におりれば、数十世帯の家々が軒をひしめき合うように立ち並び、山と海とに生活の糧を求めて懸命に生きる人々の元気な姿を見ることができます。現代人が忘れかけている日本の元風景、半農半漁の営みが、この水荷浦には親から子へ、子から孫へと連綿と受け継がれているのです。とあった。重要文化的景観の国内3例目の事例として平成19年7月に選定を受けている。
■宇和島橋
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親柱を移築したようだ。
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■宇和島警察署(明治17年)
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内部は郷土資料館になっていた。
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■柿原水源地 上水道急速ろ過池1926年(大正15年)
フェンスの中に怪しげな施設がある。
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なんとも不気味であったが今回の旅では唯一とも言ってよい土木遺産。
この上流に堰堤が2箇所あるはず。
通行禁止になっているので反対側の道を歩く。
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5分も歩くと小さな堰堤があった。
■柿原洗い堰1926年(大正15年)
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さらに次の堰堤を目指す。10分で着いた。
バットレス式の堰堤である。おかしい。本には石積みとあったのだが・・・・。
■柿原第二貯水池ダム 昭和26年
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堰堤の水が下から吹き上げていた。
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上部
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やはりおかしい。これではないはず。いったん車に引き返し資料を見るとやはり違う。
もう一度行くかどうか迷う。結局二度とこないだろうと思い、再びアタック。
再度引き返す。林道を進む。20分ぐらい歩いたら林道がなくなった・・・むむ。また迷う。
ここまで来たのだったら・・・川原に降り、遡上するが今度は水で行く手をさえぎられた。仕方なく対岸をよじ登る。なんとか管理道みたいな道に出会い歩く。
すると橋があった。やはりまだ先に何かあるだろうと確信する。
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少し歩くとあった。が、上からでは見えない。
■柿原第一貯水池ダム1926年(大正15年)
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下に降りるをあきらめ、かろうじて木々の隙間から写す
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なんとなく石積みというのがわかる。
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満足して帰る。すると先ほどの橋がアーチ橋だった。これはラッキーであった。
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山の中を1時間半ぐらいうろうろしていた。
内子を目指す。すると国道沿いに開明学校の文字が目に入り寄り道。
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■開明学校
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■申義堂
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■宇和町の町並み
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■旧宇和町小学校
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日本一長い廊下(109m)で有名である。なんと今日の午前中に雑巾がけの競争(Z-1レース)があったようだ。
優勝は18秒23で大会記録を更新して、30歳以上の部に初出場で優勝した京都府与謝野町の整体師、藤原さん(33)は「記録を狙っていたのでうれしい」と 喜んでいた。 と翌日の新聞に書かれていた。
実際に体験している人もいたが私はパス
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内子へ向かう。ペンションという柄ではないがとにかく泊まるところがない。

■101011 内子~石鎚山へ
ペンションのオーナーと夜遅くまで飲みながら内子町の話をしていたのでだるい。
どこも悩みは一緒、やることも一緒。
さて、オーナーが屋根つき橋を見たらよいと言っておられたのでゆく。
■田丸橋 2002年土木学会選奨土木遺産
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■下の宮橋
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次に目指すのはまた堰堤。さらに西に向かう。
峠を越えて海岸へ出る。しかし資料には詳しく書かれていない。場所がわからない。
何とかここだろうとみつけ歩く。
■幸口堰堤
ボックスカルバートの中を進む
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10分ぐらいで着く。
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残念ながら全体の姿が見ることができず。見る努力もしなかった。
あっけなく終わった。もうこれ以上は無理なので帰るが、一回も行っていない石鎚山経由で帰ろうとおもい動く。途中ガソリンが少ないのに気がつくが途中にあるだろうと思いそのまま進む。
だんだん山道に入るがスタンドが無い。
途中で見つけた橋
■中ケ市橋 昭和9年
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結局石鎚山の駐車場で給油ランプがつく。来た道を帰ってもスタンドは無かったし、林道を下るが途中で動かなくなるのではとひやひやした。
結局一番最初に降りた大豊ICに行く羽目となった。帰りは高松道が渋滞。急遽徳島道へ入りかえってきた。

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by venex2 | 2010-10-31 17:18 | 近代化遺産
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